時給500円から楽リッチへ!

はじめまして!伊藤有美です!

自分のスキル・経験を活かした商品やサービスを販売し、成功したい女性起業家さん向けに、24時間365日働いてくれるオンライン講座を作って販売しお客さまにも喜ばれながら楽リッチ®になる方法を教える楽リッチオンライン起業アカデミーを主宰しています。

今でこそ月100万~300万を毎月売り上げることができるようになりましたが、プリザーブドフラワー・ポーセラーツ教室をしていた時は時給500円でした。

ここまで来るには長~い道のりでしたし、失敗もたくさんしました。

なぜ、私が楽リッチオンライン起業アカデミーをはじめたのか、私の生い立ちからのストーリーをご紹介したいと思います。

誕生から小学生まで(いじめを経験)

100日のお祝い!髪の毛が立ってる!

私は北海道札幌で誕生しました。

が、生後6か月で東京日本橋に引っ越したので、札幌での記憶はありません。

出身地を聞かれるといつも困るのですが、生まれたのは札幌ですが育ったのは東京です。

生後6か月から小学校卒業までは東京日本橋で育ちました。

当時、東京日本橋はドーナツ化現象で子供の数がとても少なく、(現在はマンションが建設されたので、子供の数もそれなりに多くなったようですが・・・)私の小学校は各学年1クラスしかなく、私の学年ももちろん1クラスで16人しかいませんでした。

そんな少人数だったので1人1人の家族構成や住んでいるところ、父親の仕事などすべて全員知っているようなちょっと普通ではない環境でした。

小学生時代の私は勉強も運動もできるいわゆる優等生でした。

父親からは「おまえは何でもできる」といつも言われて育ちましたし、母親も明るい性格の人でした。両親からやりたい事に反対されることもあまりなく自由にのびのびと自己肯定感も高く育ちました。

勉強も運動もできたので、先生や親、保護者からの評価は高かったのですが、同級生(特に女子)からの人気はあまりありませんでした。

そして、小学校時代に仲間外れにされるという苦い経験をしました。

小学生の女子にはありがちなのですが、誰かを仲間外れにするという不思議な遊びが流行っていた時期がありました。私はその遊びが嫌でなぜ皆が従うのか全く理解ができませんでした。

ターゲットにされた子は誰に話しかけても誰も返事をしてくれず、悲しくて泣きだしてしまうという光景を何度もみました。私はその悲しそうな顔を見るのがとても嫌で可愛そうで胸が締め付けられる感じがしました。

ターゲットは日替わりで変わったりしていたので、昨日ターゲットだった子が次の日には別の子を無視するのです。いつか自分がターゲットになる日が来るかもしれないのに、なぜだかみんなそのルールに従っていました。

私はそのルールに従う意味が分からなかったので、

「そのルールには従わない!そんなルールは辞めた方がいい!」と言ったところ、

「有美ちゃんはいい子ちゃんぶってる」

「なんかムカつく」

という理由で私がターゲットに固定されるようになってしまったのです。

そしてそれまで仲良くしていて親友だと思っていた子からも無視されるようになってしまったのです。

母親にも相談しましたが「そのうちおさまるでしょ。」とあまり取り合ってもらえず、先生にはなんだか相談できず、ただ耐える毎日でした。

暴力的な被害には合わなかったのは不幸中の幸いでしたが、とてもつらい日々で、なぜ皆がそんなことをするのか本当に理解することができず、信じていた友達からも裏切られ人間不信となりました。

実際、私がターゲットにされていた期間はもしかしたらたった数日だったかもしれませんが、その体験は強烈でトラウマとなりました。

相性というものは確かに存在すると思うので、私にも正直苦手な人はいます。

でも、その人を無視するようなことをしても意味がないと思うし、そんな悲しい世界は嫌です。

それぞれが好きな人と楽しい時間を過ごし、違いはあってもお互いに認め合い尊重できる優しい世界がいいなと思っています。

この時の体験のおかげで

  • 物事を深く探求する
  • 読書が好きになる
  • 1人でも行動できる
  • すばやく空気を読む
  • 人の本音を読み取る
  • いろいろな価値観があることを理解する
  • 価値観の合う人と深く付き合う
  • 自分にも他人にもウソをつかず正直に生きる

という能力が身に付いたのではないかと思っています。

ただ、今でも集団はとても苦手です。

空気を読む能力が高くなりすぎてしまったのか、たくさんの人が周りにいると、その人達の感情を勝手に読み取ったり、いろんな人の会話が聞こえてきたりして、どの会話に入ればよいのか分からなかったり、会話に集中できなかったりして、気づいたら1人になってしまい焦ってしまい、家に返ってくるとぐったりしてしまうのです。

これはつい最近分かったことなのですが、どうやら私はHSS型HSPだったようです。

話を戻しますね。

貿易事務に携わる

中学校から社会人までは集団行動を避けて本当に信頼できる少数の友達と深く付き合うというスタイルを貫いたので特に大きなトラブルなく過ごすことができました。

ただし、友達は少ないです。

学生時代に英語が好きになり海外への興味が強かったので、商社に入社し英語を使って海外の人と繋がることができる貿易事務の仕事に就きました。

同僚のトーマス

中国・韓国・台湾・シンガポール・インド・アメリカ・イギリス・イタリア・フランス・ドイツ・ブラジル・アルゼンチン・ペルー・ボリビアなどいろいろな国の方と仕事をしてきました。

日本人と比べて海外の人はお互いの違いを尊重することが出来る人が多い印象だったのでとても付き合いやすかったです。

海外から来日した方のアテンド(送迎や一緒に食事をするなど)をすることもありました。南米の方のアテンドをすることが多かったのですが、南米の方はとてもフレンドリーで優しい方が多く、一緒にサルサバーへ行ったりして楽しい経験をさせてもらいました。

という訳で楽しく充実した社会人生活を送っていました。

ただ、扱う商品は半導体や医療機器など、正直自分にはよく分からない商品だったので、もっと自分でもよく分かる商品を扱えたら最高だなぁと感じていました。

結婚~妊娠~そして、流産

結婚式のケーキが時代を感じる

29歳で結婚。

仕事は好きだったので、結婚後も続けることにして子供を産んでも続けようと考えていました。

結婚後やっと授かった第1子妊娠に有頂天だったのですが、その後まもなく切迫流産となり、結局流産してしまいました。

当時は1時間半かけで電車通勤していたので、それがよくなかったのではないかと自分を責めたりもしました。

お医者様には子供が育ちづらい身体かもしれないと言われてしまい、短い期間で天国と地獄を味わい精神的にどん底となってしまいました。

完全に自分の殻に閉じこもってしまい、それまでちょくちょく行っていた実家にも行けなくなり(義理の妹が妊娠中だったため)友達にも会えない日々が続きました。

この時は本当につらかったです。そして、これをきっかけに会社を辞めてしまいました。

お医者さまには子供が育ちづらいかもしれないと言われ心配していましたが、旦那さんのフォローもありその後は子供を2人無事に出産し育児に専念する日々へと突入していきました。

ところが幸せな日々は続きませんでした~。

まさかの夫の失業

夫は外資系金融企業に勤めていたので年の割にはお給料もよく、それまでは経済的にそこまで困ったこともなかったのですがリーマンショックのあおりをもろに食らってしまったのです。

ある時、夫は会社が危ないと察知していたので早期退職者制度を利用して辞めることにしていました。

早期退職者制度を使うと退職金が2倍になるという特典(?)がついていたので、夫はそれをもらって辞めて別の会社に転職する計画を立てていました。

これには私も賛成していました。今までも夫は何度か転職していましたし転職するたびにお給料もあがっていたので全く不安はなかったです。

ところが、実際に夫が会社を辞めた直後、リーマンショックのニュースが流れ夫の会社も結局倒産してしまったのです。

もともと辞めていたのでそこまではよかったのですが、、、

なんと、2倍もらえるはずだった退職金が支払われない事態になってしまったのです。

さらに、すでにはじめていた夫の転職活動も、リーマンショックのせいか、なかなか採用されず、次の仕事が決まらない日々が続きました。

普通、面接を受けたら採用か、不採用かの結果をもらえますよね?

その結果がもらえないのです。手当たり次第に100社位、面接に行ったと記憶していますが、いまだに返事がもらえていない会社がたくさんあります。(笑)本当にあり得ない状況でした。

これは推測ですが、日本支社は採用したいけど本社の許可が下りないという状況だったのではないかと思っています。

結局半年くらい仕事が決まらず、あてにしていた退職金ももらえず、貯金がどんどん減っていく状況で本当に不安でした。

当時の私は2人目の子を出産したばかりでしたし、私が働きに行っても家族を養えるほどの収入を得ることはできなかったので、この時ほど私にもっと稼ぐ力があったらよかったと思ったことはありませんでした。

あと1か月決まらなかったら貯金が底をつくという時にやっと新しい会社への採用が決まりました。その後予定していた退職金ももらうことができて伊藤家の経済危機は脱することができました。

プリザーブドフラワー教室オープンへ

2人の子供

下の子が幼稚園に入園するまでは完全に専業主婦でした。

2歳差の子供2人を育てるのはなかなか大変でしたが、私にとって子育てはそれほど苦痛ではなく楽しめていた方だったと思います。一度流産を経験したので子供が生まれるというのはそれだけで奇跡だと実感していて、子供達との時間を大切にしたいと考えていました。

実家も近いので母にもよく頼っていまし、義理の妹とも仲が良く、弟夫婦の子供達とうちの子供達の年が近かったのでお互い助け合う事や相談することもできたからというのも大きかったです。

下の子が幼稚園に入園すると、平日の昼間に少し時間ができたので少し働いてみたいと思うようになりました。

最初はまた貿易事務の仕事をしたいと考え仕事を探しました。

しかし、平日の昼間子供たちがいない時間だけ働けるような仕事はなかなかなくて、結局外で働くのは早々に断念しました。

そういえば、自宅でお教室をするのが夢だったことを思い出し、プリザーブドフラワーの資格を取得し2012年に自宅でプリザーブドフラワーの教室をオープンしました。

当時はまだ自宅でお教室をしている方は少なく集客の方法などの情報もあまりありませんでした。

ちょうど芸能人がアメブロを始めたりして、話題になっていたので私もアメブロを開設し、プリザーブドフラワー教室の集客を始めました。

はじめは記事を毎日書いても全く反応もなく、問い合わせも、申し込みも来ない日々が続きました。

しかい、諦めずにやっていると数か月で1人、3人と少しずつ生徒さんが来てくれるようになりました。

私がプリザーブドフラワー教室をはじめたちょっと後に主婦の起業やおうちサロンが流行り、キラキラ起業女子がSNS上にたくさん登場しました。

アメブロカスタマイズに挑戦!

アメブロをカスタマイズできることを知り、私も自分でカスタマイズしてみようと思い挑戦してみました。もともとパソコンは得意なほうだったので、調べて試行錯誤しながらアメブロカスタマイズができるようになりとても楽しくなりました。

そして、知人からアメブロのカスタマイズを依頼されるまでになりました。

しっかりブログを作り込んだ結果、TVの取材が舞い込んできてTVには講師として3回出演しました。

またブログを見たということで、カルチャースクールやPTAからお仕事の依頼が来るようになり、生徒さんの数も増えていきました。

しかし、私の周りである日突然アメブロが削除されるという恐ろしい事例が多数発生したのです。(当時は当時はアメブロは商用利用がNGでした。現在は商用利用OKです)

せっかく育て上げ、読者数も多かったアメブロが一夜にして消えてなくなるという恐ろしい事態に直面した知人が何人かいましたので、アメブロを使い続けることが怖くなりワードプレスでサイト作りを始めることにしました。

ワードプレスでのサイト作りに挑戦!

「アメブロはある日突然削除されることがあるので、ワードプレスがいい」

「アメブロよりワードプレスのほうがSEOに強い」

ということで、ワードプレスでのサイト作りを始めることにしたのですが、当時は「ワードプレスって何?」という状態でしたので、ワードプレスのオンラインスクールに入会してそこで1から学び始めました。

そして、なんとかワードプレスでのサイト作りもできるようになりました。期待して始めたワードプレスでのサイト運営でしたが、待てど暮らせどアクセスは増えませんでした。

皮肉なことに新規の生徒さまはアメブロを見ましたという方ばかりでした。

それもそのはず、ワードプレスでサイトを作ることとアクセスを増やすことは全くの別物だったからです。

このままではいけないと思い、アクセスを増やす方法を学ぶためアフィリエイトのスクール(確か40万ほどでした。)に入り挑戦することにしました。

真剣に学んだ結果、1日に12万アクセスを達成することができました。広告収入はなんと1日だけで7万円で、その月の広告収入は30万円でした。

こんな世界があったのか?と本当に驚きました。

証拠写真↓

1か月で50人が通う人気教室へ

アフィリエイトで学んだ知識はお教室の集客にも応用できると思い、自分のお教室のホームページを改良してみたら、いくつかのキーワードで1ページ目に表示されるようになりアクセスが急増しました。

カフェレッスンの様子

その結果、お教室の生徒さんは1か月で約50人が通う人気のお教室にすることができました。

ただ、1か月で50人もの生徒さんに1人で対応していくのは本当に大変でした。

でも、大変な割には売り上げはあまりなく、時給を計算してみたら500円位でした。

ママ友などからも趣味でやっている教室だと認識され

「優雅でいいわね~。」
「収入はちゃんとあるの?」
など言われ悔しい思いをしていました。

好きで始めたことなのにだんだん生徒さんが来てくれることが苦痛になっていってしまったのです。

そんな状態でしたから、当然生徒さんの人数もだんだんと減っていきました。そして、追い打ちをかけるようにコロナに巻き込まれお教室は瀕死の状態となりました。

「楽リッチ®オンライン講座の作り方」の誕生

当時、もう1つ問題だったのは私のマインド(考え方)です。

過去に夫が失業して大変だったことがあったにも関わらず

「お金を稼ぐのは夫であり私はそこまで稼がなくても良い!」
「私が夫より稼いだら夫婦関係が壊れる」


と思っていました。

そう思う一方で集客の勉強も自己流で中途半端にしていたのです。

後から気づきましたが、これってアクセルを踏みながらブレーキを踏んでいる状態と同じなんです。

集客を勉強して一生懸命して実践してみてもうまくいかないなんてことは当然のようにあります。

そんな時、この考え方をしていた私は「あっ、でも私がそんなに稼がなくてもいいんだった!」と言い訳していたんですね~。

ある時ある人から「旦那さんとあなた2人で稼げばいいじゃない!旦那さんに聞いてみたら?」と言われました。

恐る恐る旦那さんに「私が稼いだらどう思う?」と聞いたら夫は「どんどん稼いでくれ~!」と言ったのです。なんと、私が稼いではいけないというのは私の思い込みだったんですね~。

それ以来「私もしっかり売上を上げていこう!扶養から外れても突き抜ければいいじゃないか!」と思うようになりました!

周りにお教室やサロンをしている仲間がたくさんいてみんな集客に悩んでいましたし、パソコンが苦手な方も多かったので、その方たちのサポートをしたいという気持ちが強くありました。

どちらにしても今のままではいけないと思い、いちから集客を本気で学ぼうと決心し、清水の舞台から飛び降りる覚悟で高額自己投資をしてある方のコンサルを受けることにしました。

当時はこの自己投資額を一括で支払うことはできなかったため、クレジットカードを使い分割で支払いました。

そのコンサルで分かったことは今まで自己流でやっていた集客方法や価格設定に大きな問題があったということでした。

集客するためには必ずビジネスの設計図が必要なのですが、過去の私も含めほとんどの方が設計図もなくただ目の前のことだけをがんばっている状態なのです。そして安すぎる価格設定も問題です。

設計図を作り、その戦略を実行するためのノウハウを学び、適切な価格のサービスや商品を作ることができれば、お教室やサロンを運営している女性起業家さん達はもっと楽しく収入を得ていくことができると確信しました。

主婦でももっと稼げる!と思ったのです。

そこで、女性起業家さんを対象に「楽リッチオンライン講座の作り方」というサービスを始めることにしたのです。

「楽リッチオンライン講座の作り方」はとても好評で販売開始3か月で月商135万円を達成することができました。更にこの手法を教えた講座生さんも月商100万円を超えたという方が続々と誕生したのです。

この方法はお教室はもちろんサロン・コーチ・セラピストなど幅広い業種の方に応用できるものです。

ただオンライン講座を作っただけでは多くの場合売れないので、オンライン講座の作り方はもちろん理想のお客様を集客し、強い売り込みをせずにスムーズに販売するまでのすべてが学べる『楽リッチオンライン起業アカデミー』をはじめました!

私の最高月商も300万となりました。

女性は育児に家事にと忙しいので、週休4日をキープしつつ楽しく収入を上げる方法を教えて、自由に好きな事で成功できる女性起業家さんをもっともっと多く誕生させることをミッションに活動をしています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。